チョムスキー入門

チョムスキー入門  生成文法の謎を解く (光文社新書)

チョムスキー入門 生成文法の謎を解く (光文社新書)

ソシュールチョムスキー, という現代の言語学の背骨を造ったと言っても過言ではない(よね?)二人の理論を非常に優しい言葉遣いで解説した入門書. 自分は完全ズブズブの素人だ, などとは言わないが, それにしても「言語学」としてはちゃんと勉強したことがないわけで, そんな人間にも「おおよそ何をどのように解決した・しようとしたのか」が解りやすく, クドいくらい丁寧に説明されている.
説明に納得がいかない部分がいくつかあったり*1, ソシュール, チョムスキーの論と著者の批判がごちゃまぜになっていて文章の構成が解りにくかったり*2, と短所は沢山あるのだが, あくまでも新書の役割というのは, その分野のド素人に「お, この話は面白そうだ」「もっとちゃんとした専門書を読んでみたいな」と思わせることであり, そういう意味でこの二冊は新書の役目を充分果たしている, と思うのである. 所詮新書に多くを求める方が間違っているのである.

科学的言語学について

素人なりに考えたことを少し.
著者はこの二冊に渡って, ソシュール, チョムスキー言語学において科学的なアプローチをとろうとしたことを強調し, 同時に両者とも「意味」について消極的な態度をとっていたことを批判的とも思える論調(だからこそ理論が不完全だ!)で書いているのだが, 個人的にはこの批判は的外れ, もしくは, かなり無責任なのではないか, と感じるのである.
そもそも「科学的」とは何か. 科学的な手法, とは, 物体の運動や, 物質の変化や, 生体の状態といった具体的な各現象を, 形式化・抽象化して解析することである, というのが自分なりの解答である. 言い換えれば, 「種々雑多な現象の中に規則性を見出すこと」が「科学」の手法であると解釈しているのだが, この行為はまさに雑多な具体的「意味対象」を「ことば」によって切り分ける行為である. すなわち, 極めて簡潔に言えば, 科学とは「世界をことばで表現すること」ではないか.
だとすれば, 「言語学」を完全に科学的に行なうことは原理的に矛盾を孕む. 「ことば」と「意味」が結びつく仕組みを科学的に解明するためには, 「意味」をも科学的対象として捉えなければならない. これはつまり「意味」という曖昧な対象を直接触るのではなく, 「ことば」を介して扱わなければいけない, ということで, これでは「意味」と「ことば」の間のメカニズムが見えるはずがない.
と, 考えれば, 言語学が科学的に行なえる範囲は自ずと限られる. ソシュールチョムスキーが科学的なアプローチを中心に据えたのであれば, 曖昧で科学的には直接扱えない意味「以外」の部分をまずは確立させるのが自然であり, 実際両者ともそれを行なった, ということではないかと思うのである. ならば, 彼らの言語学(彼らがとりあえず部分的に完成させた「科学的」言語学)が, とくに意味の扱いにおいて不充分であることは, とりたてて批判すべき部分ではないのではないか, と思うのである*3.

関連図書

ソシュールの講義録だけでも沢山あるらしい.

ソシュール講義録注解 (叢書・ウニベルシタス)

ソシュール講義録注解 (叢書・ウニベルシタス)

これが二回目講義の一部だけ,
ソシュール 一般言語学講義: コンスタンタンのノート

ソシュール 一般言語学講義: コンスタンタンのノート

こちらが三回目講義(コンスタンタンという人のノートを元にした講義録もいくつかあって, これはそのうちの一冊)のようだ.
もう少し, 新書から傾らかに行くならば,
知の教科書 ソシュール (講談社選書メチエ)

知の教科書 ソシュール (講談社選書メチエ)

ソシュール (岩波現代文庫)

ソシュール (岩波現代文庫)

この辺ですかね.
ちなみに, 今回の新書二冊の著者がもう一冊ソシュール本を書いている.
ソシュールと言語学 (講談社現代新書)

ソシュールと言語学 (講談社現代新書)

新書レヴェルの本をソシュールだけで二冊書く, てのは, なんかいかがわしいなあ, とは思う.
チョムスキー生成文法に関しては, 予想ほど数はないみたいで,
生成文法の企て

生成文法の企て

が一番なのかな. ただ, 本人のインタヴュー形式なので, 体系的ではないみたいだな…
それとも, こちらも岩波現代文庫
チョムスキー (岩波現代文庫)

チョムスキー (岩波現代文庫)

あたりでもうワンクッションおくのがいいか?
ちなみに, Amazonなどで「チョムスキー」で検索すると, 言語学の本よりも社会批判の本ばかり出て来て鬱陶しい.

*1:例えば「ソシュール」の方の「ことば恣意性が何故必要か」といった部分. 人間は高度な文明を発達させたことによって, 大量の意味対象をことばによって指示しなければいけなくなった. このために恣意性が必要である, といった論調に読めたのだが, どうも「恣意性を持ったことばを獲得したから」こそ, 高度な文明を発達させることができた, としか思えず, 因果関係が逆だと思うのである.

*2:口述筆記?と思ってしまうような箇所多数.

*3:そもそも「科学的アプローチ」を取ることを批判するのであれば解らないでもないけれども